さよなら”あの日”

約1年前、私はこんな記事を書いた。

 

 

fufufuxyz.hatenablog.com

 初期セクバであった自担を応援してきたこと、それはすなわちSexyZoneを見守ってきたということ。この5年間、自担にもセクゾにも色々なことがあった。色々あったからこそ、1番美しく、そして楽しかったセクゾデビュー前後にとらわれたままだった。

 

 名古屋初日。

あまり仕事をしてくれない自名義とは思えないほどの良席。ちょっとだけ期待しながら自担の団扇を持ち、そしてちょっとだけどんな内容になるのか不安を抱えて会場へ向かった。そしてアリーナ構成を見て、彼らの本気を感じて喜んだ。終わってしばらく泣いていた。2つほど理由がある。

1つ目はあまりにも幸せすぎたから。ずっと見たかった景色が、コンサートがそこにあったから。輝きが今までと違ったから。(去年から少しずつ)やっと演出やセトリにやいやい言える時間が戻ってきたから。まだまだなんでそうなったって流れの箇所とか、特にslowjamはじゃぽの影響受けすぎだとか、でもレーザーの使い方がいいとか、映像がいいとか。あの演出にはあんな意図があるんだろうとかいやいや考えすぎだろうとか。超勝手にやいのやいの、そして、かっこよかったね、いいコンサートだったねと言いたかった。ずっと。やっと言えた。

2つ目は、直接的にはセクゾの話ではないけれど、自担がいなかったことで、いよいよ覚悟しなければならないなと感じた。(覚悟はしていたけれど、いざ突きつけられると辛すぎて情緒不安定になっているなうなのはまた別の話)

入る前から、たとえいないと分かっても自担の団扇を公演中持とうと決めていた。良席で何やってんだか、完全なる自己満足だと自分でも思わないでもないけれど、それが彼らを見てきた5年間の自分の姿だったから。コンサートのおかげで、セク鬱が吹っ飛んでくれたけれど、自分の中で美化されすぎていた初期セクゾセクバ像も吹っ飛んで、少し寂しかったのかもしれない。(セクゾの成立過程やセクバに大きく関わるかおるが退所したときには既に無くなっていたのだけれど)セクバをもう見ることはないのだという悲しみと寂しさもあった。

 STAGEは、感情と分析ゴコロの両方を満たしてくれる、そんなコンサートだった。

 

オーラス公演、入れなかったから自分の目では見れなかったけれど、薔薇をもったファンに包まれた空間は圧巻だっただろう。あの福岡の日から、私は彼らに何をして欲しいのか分からなかった。何事もなかったかのように笑っていてほしいわけでも、でも忘れてほしいわけでも、泣いてほしいわけでも、説明してほしいわけでもなかった。何を拗らせているのかすら分からなかった。けれど、ちびーずが涙を見せたと聞いて、ただただ良かったなと思えた。結局、彼らが輝いていれば、SexyZoneを、コンサートという場を大切に思ってくれれば、それを感じられれば良かったのだと悟った。だから、今回のツアーで、今までを否定することも美化することも無く、思い出として。赤い薔薇に誓って、その棘が刺さろうとも、”未知”を歩いて行ける予感がする。さようなら、"あの日"。真っ直ぐに彼らを見ていける。5年後にどんな思いでブログを書くのかは分からない。けれど良い思い出が積み重なっていますようにとただ願っている。