セク鬱と私にとっての"あの日"

 
2013年3月26日。私は福岡サンパレスにいた。Sexy Zone Japan tour初日1部。追加公演での当選で入るのはツアーに入るのはこの1回のみ。高校受験を終え1年ぶりの現場。帰省も兼ねた遠征でかなりテンションが上がっていた。入れるだけでありがたかったし幸せだった。何が起こるのか、そしてこれがその後2年以上も続く苦しい期間の幕開けになるとも知らず。そして心に引っかかり続けることになるとも知らず。
 
さて。
私はその時会場に早めに着いた。キャリーケースを引っ張った派手な格好のヲタクと隣の会場であった九州大の卒業式の晴れやかな学生たちが混じりあう景色がとにかくカオスだったことをやけに覚えている。グッズ列に並ぶが異様に進まない。原因が分からないが異様に進まない。開場ギリギリになっても買えない。対応も悪いので列のイライラ度合いは高まっていた。私の後ろ3列でなぜか列が遮られた。え?と思いつつ買ってブースを出たところでアナウンス「開場するので一旦グッズ販売を停止します。1部の方はロビーで買えます。」
 
…今までのみんなの2時間以上を返してもらえません?なんだこれ?なにこの雰囲気?嫌な予感がするけど今日大丈夫????(このとき理路整然と対応の非を指摘して啖呵を切った関西弁のお姉さまかっこよかった。)
 
結果的に全然大丈夫では無かった。嫌な予感当たってしまった。幕が開いて1人足りなかった。4人も、キラキラしてるのに残酷さが隠された登場だった。だけど私にとってこれ以上ない良席で楽しかった。担当も良い位置を貰えていて嬉しかった。でも楽しんで良いの?と頭のどこかで声がした。大パニックだった。このコンサートを私は未だに昇華出来ていない。箱推しとして辛かったはずなのに少し楽しんでしまった自分を許せないからなのかもしれないし、私が何よりも楽しみにしているコンサートで起こったことだからかもしれない。これが私にとっての"あの日"である。
 
話は飛ぶが、私がセクゾを知ったきっかけは嵐である。嵐がアイドル誌の卒業を迎える時期で、少ない小遣いから頑張って買い漁っていた。なけなしの小遣いだからそれ以外のページも読み込んだ。そしてがっつり同年代だった微笑年(自担に撃ち抜かれた)やジャパハイなどちびーずやセクバとなっていく子たちに興味を持つようになる。(まさかすーぐデビューするとは。)
 
今思うと、嵐大ブレイクの過程に嵐ファンになった私は新規コンプレックスはほとんどなかった(デビュー時に物心付いてなかったのでファンになるのは物理的に無理だったという諦めがつけやすかった。)
 
けれどもその代わり、"Jr.黄金期"や"ブレイクまでのストーリー"を追体験してみたいという好奇心と憧れ、それが結果的に"完全同世代のデビュー組"を求めていたように思う。Jr.の時期から知っていて自分と同い年のメンバーがいる、そんな風に条件が揃っていて…まあそれを抜きにしても"時代を作ろう"なんてキラキラ王子様に歌いかけられたらどうなると思いますそりゃ推すよね←
(個人的に、その時期本当に色々と辛いことが重なってしまってあまり記憶がないのと、あっても断片的だったり時系列がぐちゃぐちゃだったりするのだがセクゾのことだけは覚えてるしCDやら雑誌やらも抜けなく買ってある自分が怖い。)
 
なぜ私がセク鬱、メンバーの不安定化、ファンサ魂を嫌うのかというのはこのように嵐育ちが影響しているだろう。しかし、嵐とセクゾを重ねたことは一度も無い。(藤原ゆか先生の漫画CRASH!で、ALFAとCRASHを見ている花ちゃん的心境だったと言ったら1番近いかもしれない)
それよりも同い年の子、一番良い時期で成長できる時期の子が雑に扱われているというこれまた辛いことばかりだった自分に重ねた憤りの方が大きかった。2人だけでなく矢面に立たされる3人のことを考えてやりきれなかった。(直球のソロ曲を書き続けた赤色の彼にとっての"あの日"はいつなんだろうか。)またJr.担としてシングルを買わざるをえなかったりする状況にも疲れていた。なんで現実を忘れて癒してもらうはずのアイドルで苦しむんだろうなんでお金使ってんだろうとふと思ってあほらしくなることもあった。自担もセクバから外れたりしたのでそのまま離れても良かったのかもしれない(自担もまあまあ苦しい状況が続いているので私の中高のヲタ活はなんだったんだ感はある)
 
しかし文句も言って離れかけてでもなんだかんだ見続けていたのはどうしても諦められなかったからだと思う。彼らが大ブレイクすることを。5人揃って大きくなることを。
 
ウェルセク魂に行って、当たり前の光景が当たり前に楽しめたことに泣いた。彼らのブログやらソロ曲からもうぐちぐち言わず前を向こうぜというメッセージはわかっている。だから封印しておこうと思ったけれどやっぱり思い出してしまう。これがいつか昇華出来ることを願いながらこれからもひっそりと応援しようと思う。