髙橋颯くんを応援してきて。

気持ちの整理が少しだけついたので。ただの独り言と回顧。

 

髙橋颯くんが、自担が、退所した。どんな状況でも載せてもらっていた3誌にいなかったときにはもう覚悟していたけれど、ファンレターのお返事が届いたツイを見たときはきつかった。今の状況を鑑みると颯くんの判断が正しいという冷静な気持ちと、私はジャニーズが好きだから、ジャニーズの颯くんを見たかった、歌って欲しい曲も、踊ってほしい曲もまだまだあったし、何より雑誌だけでも、毎月颯くんの姿を見ていたかった気持ちでぐちゃぐちゃで。

私が颯くんの担当になったきっかけははっきりとは覚えていない。微笑年として雑誌に載った5人(Sexyのちびーずと岸颯)を好きになったのはうっすらと覚えている。いつの間にかその5人を目当てに雑誌を買いはじめ、JJLを見、あれよあれよとSexyZoneがデビューし。気づいたら颯くんだけの切り抜きファイルを作り、参加したPVが揃い始めていた。でも決定的に自覚したのは、2012年のセクゾの春魂だった。1st行けなかったし城ホだし立ち見だし…そんな気持ちを吹き飛ばしてくれたのが颯くんだった。立ち見でも颯くんとすぐに分かる踊りや動き。誰よりも輝いて見えたとき、これが担当なのかと分かった気がした。

何も考えず楽しかったのはその時期くらいかもしれない。きしふうじぐれあむかおるのことを6人だけど神7ってファンの間で勝手に言ってたり。地方学生にはありがたいことにTVで見れたり。それから色々あって、JJLが終わったり、シンメが解体されたり、でもCMやドラマを頂き、またシンメを失って。推されてんのか推されてないのか分かんなくなって。リハにはいた舞台に幕が空いたらいなかったり。謎な立ち位置で急にクリエ公演に出たり。そんな状況の中で、他の子に対してなんでやる気の無い子がこんないい位置にいるんだろうって思ってしまうこともあった。ファンの方も、推されている子に降りて行ったり何も言わずいなくなった人もいた。何度も何度も、今颯くんが20代だったら、中学生だったら、ユニットに入ってくれたら。そんなたらればばかり考える時もあった。

 

けれど、いつだって颯くんが最高だったから、どんな状況でもパワーアップしていてくれたから、やれるだけのことはやろうって思えた。ファンレター書いて、毎月雑誌買って、アンケートを書く。普通のことかもしれないし、たったそれだけってことかもしれないけれど少しでもやりたかった。Jr.大賞の入賞者ピンナップやカードになる順位が毎年変わって怒ったりしたのが懐かしい。もう毎月発売日待つことも無いんだなあ。近況や、ぶっ飛んだ颯くんの考えに驚いたり、感心したりすることももう無いんだな…

私が颯くんのいるステージを実際に見れたのは、たった7回。最後になってしまったハニバタにも行けなかった。それだけは後悔している。けれど見れた1回1回が宝物で。長期舞台の真ん中の日程でも、偉い人がいなくても、地方でも、いつでも最高のパフォーマンスで。ヘッドスピンが代名詞だったけれど、ダンスのことなど何もわからない私でも惹きつけられて、凄いってわかって、何よりも感情を揺さぶってくれる踊りが大好きで。歌もどんどん上手くなっていた。曲を作っているって雑誌で言っていたけれど、それをきちんと形にしてクリエで披露してくれた。

 

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近況や考えていることをきちんと雑誌で伝えてくれていた。どこまでもファン思いで、自分のパフォーマンスに誇りを持つアイドルの颯くんに、そして同年代の学生としても、好きとかそんな次元じゃなくただただ尊敬している。これからもずっと。表舞台にいてくれるのなら、悪い人たちに利用されない限りはどこへでもついていくって覚悟までしたくらいに。そして、颯くんのファンでいて楽しかったことに感謝の気持ちでいっぱいだ。セクゾと初期セクバに出会えたことは一生の宝物です。颯くん、最高の青春を、ステージをありがとう。これからの人生が幸多きものになりますように。